水晶宮物語 ロンドン万国博覧会1851
Sunday, July 10, 2005
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1851年のロンドン万博と、その会場となった水晶宮(crystal palace)の建設から炎上までの経緯が書かれています。
ヴィクトリア女王の夫君アルバート公のもと開催の決まったロンドン万国博覧会。水晶宮は、不評だった建設委員会のプランの代わりに庭師あがりのジョセフ=パクストンが温室をヒントに考案した巨大なガラス張りの建築物です。仮設建築としては建築費も撤去費もかかりすぎる委員会案よりも、費用も抑えられ斬新なパクストン案の方が民衆に支持され、採用に至りました。
ハイドパークの楡の木の伐採をめぐる反対運動、万博終了後の措置など、現代に通じるものがあります。伐採問題は、大きな半円型の天井をつけた袖廊を設置し、その中に楡の木をとりこむことで解決しました。
ロンドンの治安の悪化に対する懸念など、反対意見が尽きないまま実施された博覧会ですが、完成した水晶宮や水晶噴水を目の当たりにして多くの人が賞賛の声をあげました。このあたりの世論の変貌ぶりは、当時の新聞が引用されていてわかりやすかったです。入場者はのべ600万人を超え、収益金はヴィクトリア=アルバート博物館や教育期間の設立資金となりました。
水晶宮は今はもう焼失してしまっていて、実物が見られないのがとても残念。万博終了後、水晶宮はシドナムに移築されしばらくは盛況だったようですが、その後は赤字続きだったとか。
どちらかというと万博ではなく水晶宮に纏わるエピソードが中心ですが、約150年前の万博の様子が垣間見えて楽しかったです。